弊社代表より手記「ワコムアイティ多久和会長」との思い出とともに
Date: 2010/08/10
ワコムアイティの多久和会長が代表取締役を退任されました(取締役会長就任)。実は多久和会長は今回のRuby on 松江ラーメン発売につきましては、多大なご協力を賜りましたお一人です。弊社とのお付き合いも長く、また、地域振興に並々ならぬ意欲をお持ちになり、弊社にとっても我々の地域にとっても大切なお方であります。
その多久和会長への感謝の意味を込めまして、今までの思い出とRuby on 松江ラーメンの話を代表が手記にまとめました。今回はその手記を紹介いたします。
文中、敬称が「社長」となっておりますが、思うところあってのことです。予め御了承ください。
今から何年前になるのだろう、もう忘れてしまった。それぐらい多久和社長との付き合いは長い。はじめて会ったのは、我が社で使用していた販売管理用ソフトの「データ移行用ソフト」作成を依頼した時だったと思う。それまで出会っていたPC 関係者の人達とは全く違う外見であった。肩幅が広く、背も高い。とにかく、がっちりした体躯だった。あとで柔道をやっていたと知らされ、「さもありなん」と納得できた。厳(いか)ついその体型に反比例して顔つきはたいへん柔和で、眼鏡の奥の眼差しはアフリカ像のように優しかったと記憶している。気は優しくて力持ちとは、こんな人のことを言うのだろう。
無理なお願いをしたこともたびたびあったが、拒絶された記憶がない。その最新のお願いが、今回のRuby にまつわる一件である。「我が社の製品の売上の一部を寄付することによりRuby というプログラム言語を支援したい。ついてはRuby アソシエーションの方とコンタクトを取りたいので、仲介してほしい」と厚かましいわたしは多久和社長に面談し、お願いしたのだ。
「お願い」があまりにも唐突だったので、最初はあまり理解されたとは思えなかった。たとえて言うとRuby とラーメンが、月とスッポンのようだったからだ。しかし多久和社長、聞く耳だけは、もっていた。「うん、うん、そげかや、」と誇大妄想的な話を最後までよく聞いてくれた。「わかった、とにかく話すだけは話してみる、ついでにスサノオマジック(今度島根にできるプロバスケット・チームの名称)も紹介してあげる」と、最後には言ってもらった。あとはトントン拍子に話が運び、今日に至った次第である。
松江城を国宝に、という運動がある。国宝に指定してもらうことにより、遺産としての価値、つまり観光資源としての価値を高めようというわけだ。わたしはこの運動に賛意を表するものだが、この運動には、ひとつ欠落しているものがある。それは、われわれの祖先(先住民)は400 年前に日本の最先端技術を駆使して、この松江に城を築いたという単純な事実と、その技術に対する尊崇の念、また、その技術を支えて築城の労をいとわなかったであろう名もない職人、商人、また単純労働に従事したであろう数多くの庶民、それらの人たちに対する地域住民としての尊崇の念とか、畏敬の念だ。その当時はいまより地域(住民の心)は活性化していたに違いないことぐらい、少し想像力をたくましくすれば誰にもわかるはずだ。
もし、それらのことが了解できるなら、いま必要なのは、歴史的建築物たる松江城そのものを国宝にすると同時に、その松江城のつくり手の側の諸状況を(つくった側の人とか技術を)現在に再現することがより重要であることは、容易に理解できるだろう。松江城のつくり手が400 年前の最先端技術を駆使したのなら、われわれは現在の最先端技術を駆使して現在の松江城をつくりあげるべきなのだ。そう考えた時、わたしにひとつのイメージが湧き起った。わたしは「現在の最先端技術」に≪Ruby≫を「現在の松江城」に≪地域のネットワーク≫を、あてはめることができるのではないかと考えたのだ。地域のネットワーク、それは横に広がった城である。それが細胞とか神経のように連結し地域活性化につながるであろうことは言を俟たない。それがRuby を支援しようと思った所以だ。Rubyという目に見えない建築物が高くなればなるほど、裾野を形成する地域のネットワークはひろがっていく、そう思ったのだ。
最初に多久和社長に相談し、紹介の労をとっていただいたことは正解だった。先ほども述べたように、その後はとんとん拍子で事が運んだからである。どこの職場においても、アイデアは床に転がっているのだと思う。そしてそのアイデアを手に持っている人もたくさんいるはずだ。しかし、多久和社長のように、これらのアイデアや人を、他の適合するアイデアや人に連結してくれる人は、極めて少ない。
過日、お会いした際には会長に就任されたら地域振興に力を入れていきたいとおっしゃられてました。頭が下がります。多久和会長の今後の益々の御活躍をお祈りいたします。
